Blog活動日誌

2026年5月28日 今、水俣病を学ぶ意味

こんばんは。滋賀県議会議員の野田武宏です。

 

先日、水俣病について学ぶ学習会に参加しました。今年は水俣病の公式確認から70年の節目にあたります。

水俣病は1956年に公式確認されましたが、原因が特定されるまでには12年もの時間がかかりました。その間にも被害は拡大し、多くの方が苦しみを抱えることになりました。

学習会では、水俣病の原因や歴史だけでなく、現在の水俣の姿についても学びました。かつて水俣は「いお湧く海(魚が湧くほど豊かな海)」と呼ばれていました。1997年には漁業も再開され、現在はSUPなどのレジャーも行われています。一方で、かつての豊かな海や漁村の風景は大きく変わり、漁業の担い手不足など新たな課題も抱えています。

また、水俣病センター相思社の小泉初恵さんからお話を伺いました。相思社は1974年、患者支援を目的に設立され、現在は水俣病を学ぶ拠点として活動されています。歴史資料館や膨大な資料の保存・デジタル化にも取り組まれており、歴史を次世代へ伝える大切な役割を担っています。

 

今回の学習で特に印象に残ったのは、水俣病が単なる環境問題ではなく、人と人との関係や地域社会そのものに深い影響を与えたということです。

水俣はチッソの企業城下町でした。地域経済や雇用を支える企業であり、水俣の税収の大きな部分を支えていました。そのため、被害者と加害企業という単純な構図ではなく、チッソで働く家族と患者家族が同じ地域で暮らしていました。被害を訴えたい思いがあっても、地域で共に暮らし続けるためにあえて病気の話をしないこともあったと聞きました。

一方で、行政主催の慰霊式と患者団体主催の慰霊祭が現在も別々に行われていることからも、水俣病が今なお終わった出来事ではないことを感じました。

当時、チッソはプラスチックなどの原料となるアセトアルデヒドを製造しており、その過程で発生したメチル水銀が海へ流されました。原因が指摘されてからも排出は続き、結果として被害が拡大していったことから、講師は「事故ではなく事件」という表現を用いていました。

学習会の最後には、「公害に第三者はいない」という言葉が紹介され、特に心に残りました。

高度経済成長の恩恵を受けてきた私たちも、決して無関係ではありません。実際にチッソや昭和電工の工場は滋賀県にも存在しており、水俣病を遠い地域の出来事として捉えることはできません。

水俣病から70年。弱い立場の人を切り捨ててよいのか、問題の隠蔽を許してよいのか。水俣病を学ぶことは過去を振り返るだけでなく、今の社会のあり方を考えることでもあると感じました。

 

野田武宏

 

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